精神科医は医者じゃないです[白衣を着た売人です]

精神医療の実態を暴き出しています。最新情報はFacebookページでどうぞ。

女川で見てきた光景と精神科医のうそ

先週末、いってきました。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4
見渡す限り、がれきの山です。

町の中心部は全滅していて谷に存在する建物がすべて瓦礫になっていました。
総合体育館に大勢の方が避難していて体育館の事務室周辺が町の機能を支えています。
町の職員の方に、もともとは約一万人の人口でしたが、8000人を超える人の生存が確認されている状況とお聞きしています。

ボランティア活動もしてきているので、町の職員の方とも仲良くなっていろいろお聞きすることもできました。

自衛隊はお風呂テントを用意していて、被災者の方々はとても喜んでいます。
洗濯場所もあるし、女性用洗濯物乾燥テントもあります。
雪はもうだいぶ前にとけて暖かくなりはじめています。夜は寒かったけど。

町の職員の方々は徳島県や、宮城県からの職員の方に助けられて食事の配給や、下着類長靴スニーカーなどの配布を日々おこなっていて、衣服類はありあまりすぎて体育館に年代別サイズ別に仕分けられて体育館におかれています。

地元工場のある、あさはパンの配給、夜は、すかいらーくの人たちが夕食をもってきてくれて配膳ボランティアもして、自衛隊の方の出すスープとともに、給食のように他のボランティアも参加してやっているという状況です。

多くのみんながそれぞれ、被災者もボランティアも職員も互いに励ましあって、元気を取り戻してきています。

がんばろう。
素直にそう思えるし、そう伝えることのできる雰囲気になっています。


でも、精神科医が見ると、そんな風には見えないようですね。


引用>>>
震災、長引く避難生活…幼児たちにPTSDの恐れ ― スポニチ Sponichi Annex 社会
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/04/15/kiji/K20110415000632400.html

地震津波、長引く避難生活に幼い子供たちの心が傷ついている。専門家は心的外傷後ストレス障害(PTSD)になる恐れがあるとして「言葉で十分表現できない子供には慎重なケアを」と指摘する。

「ゆめにじしんが」「こわい、こわい」。宮城県女川町の新妻たくとちゃん(3)は震災の3日目から、泣き叫びながら深夜の体育館を走りだすようになった。母久美さん(26)は救護室に相談し、睡眠薬をもらった。3月下旬に約1週間、体育館で診療に当たった鳥取大病院の生越智文医師は、3歳児の服用はあまり聞かないといい「周りに人が多く、慣れない環境だけに負担が大きいのだろう」と指摘する。
<<<引用終わり


実際には、
こんな話は、大げさで嘘にほぼ近い話でしょう。
子供達はそれくらいの反応をすることもありますが、すでに立ち直っていて、元気にはね回っています。生き残った友達との共同生活が、遊びやすい環境のようで、

スケボーやら、サッカーボールやら、DSなどなどで、まーーー、元気にはしゃぎまわっていますよ。

元気な子供達を見ていると、将来の希望がとても見えてきます。
彼ら彼女らが被災地の多くの人に元気を与えていますよ。


でも、精神科医達は、なんとしてでも、彼らを薬漬けにしたいんですよね。

イメージ 5

イメージ 6